UZ通信

カラダ・アタマ・ココロの遊び

「ソロー語録」を読みました。 ー部分で共感し、全体的にはよくわからなかった。

今日読んだ「ソロー語録」についてです。

① 著者
② 概要
③ 印象に残った文章と一言コメント
④ 感想

 

① 著者:ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
19世紀(1817~1862)に生きたアメリカの詩人・思想家。ハーバード大学の学生時代から、古代ギリシャ、ローマ、中世ヨーロッパの文学を深く愛し、また東洋思想にも興味を抱く。自らの実践と観察、著作のほか、アメリカ先住民や考古学、民俗学、博物学、生態学への関心を深め、最晩年まで膨大な日記に書き記した。
ガンジーやキング牧師、マンデラ、ジョン・F・ケネディ、レイチェル・カーソン、トルストイ等分野を超えた様々な人々に強い影響を与えた。

 

② 概要
ソローさんが様々な著作の中で綴った文章が、編訳者である岩政伸治さんによって抜粋され、「自然」「季節」「生き物」「社会」「労働」「宗教」「生きる」「シンプル」等のテーマごとに並べられた本。

 

③ 印象に残った文章と一言コメント

僕らへのもっとも素晴らしい祝福は、ただ同然なのだ。太陽の光という恵みを手にいれるのに、僕らは金も腹zわず、税金も課せられない。

眠る、走る、笑う。確かにこれらに金はかかってない。

 

リスが夏の間、冬のために木の実などを蓄えるように、僕らは冬の番の語らいに備えて経験を積み重ねる。

共感。色々と経験を積むのは、好きな人と会った時に、笑わせるためだし。

人が成功とみなし賞賛する人生はそのほんの一例でしかない。ほかの生き方を犠牲にしてまでその一例にこだわる必要などあるのだろうか。

一般的、社会的な成功に捉われて、不幸になりたくない。自分の中で成功したい。自分の「成功」は、失敗も含んでいる。失敗を恐れて、挑戦しないことが「失敗」だから。全力で取り組み、そこに喜びがあれば、成功。

勤勉なだけでは十分とはいえない。そんなことはアリだってやっている。問題は、何について勤勉であるかだ。

どんな目的で、何をしているか。なぜ、なんのためにやるのか。その行いが本当に意義深いのか。そういうことだろうか。

富める者はあわれだ。彼の所有するものはお金で手に入れたもののみ。僕の場合、目に入るものは何だって、自分のものだ。

あわれかどうかは別として、自分の手で建てた家で、自ら焼いた食器の上に盛り付けた、自給自足の作物を食す生活は豊かだと思う。

 

友人のために僕ができることは、ただ彼の友達でいることである。

これはいい考え方だと思う。彼を、いや彼に限らず他人を幸せにすることも、不幸にすることも自分にはできない。逆に自分の幸福は自分が決めるということ。周りの環境や人間関係で幸福が決まらないのだから、自分で責任で感情を選択すること。

 

努力から知恵と純粋さが生まれ、怠惰から無知と欲望が生まれる。

 はい。

 

人が人生に求めるものを比較すると、二人の人間のあいだには、重要な違いが見える。
一人はそこそこの成功に満足し、まっすぐ狙いを定めて必ず命中させる。もう一人は、どんなに人生に失敗し、どん底にいようとも、つねに水平より少し上むきの目標を掲げている。僕はその後者でありたい。

ぼくもです。

 

シンプルに、シンプルに、生きよう。すべきことは百や千ではなく、二つや三つでいいのだ。

 寝る。食べる。走る。書く。これでもう4つある。

 

もしすべての国の言語を学び、すべての国の文化に精通したいなら、もしほかの旅行者よりも遠くまで旅をして、あらゆる風土に親しみ、謎をといてスフィンクスよを退治したいなら、古い哲学者の教えに耳を傾け、自分自身を探求せよ。

 古典にたしなめということでしょうか。「スフィンクスを退治したい」と思ったことはありませんが、ほかの文化に親しみは持ちたいです。旅をし、本を読み、文字を書きます。



◾️ 感想
正直、よくわかりませんでした。
簡易な言葉で綴られていたのですが、意味が汲み取れなかったのだと思います。

たぶん、ぼくの経験値が少ないのでしょう。

森の中で生活をすれば、社会人になり働くようになれば、誰かを愛するようになれば、少しずつ理解できたり、解釈が変わっていくのだと思います。

「森」に関して書かれた部分では、村上春樹さんの小説「海辺のカフカ」で主人公が森で過ごしていた描写を思い出しました。自分ひとりで、光と闇、動植物に囲まれた状況は、少しこわいけれど、一度やってみたいです。

時間をおいて、また、何年後かに読み直したい本ですね。

ソロー語録

ソロー語録

 

ぼくの本でよろしければ差し上げますので、お声かけください。