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UZ通信

カラダ・アタマ・ココロの遊び

「色々経験した方がいいよ」の解釈

雑感

「色々経験した方がいいよ」とたまに言われるんだけど、この言葉は何を意味しているのだろうか。

生きていれば色々な経験をする。
・Netflixを1日中グデーっと見る経験
・プレゼントしたお惣菜券が全然喜ばれない経験
・ベッドから起き上がれず3限に遅刻する経験
・10㎞走ろうと思って5㎞しか走れない経験
・友達を笑わせようとして、滑る経験
・一度追い払ったネズミと再会する経験
・ふられる経験
・カップスープの粉がほぼほぼ溢れる経験

「色々な経験」は、こういった経験を全て含むのだろうか。それとも有益そうなものだけ誰かが「経験認定」するのだろうか。そうだとすると、いつどこで誰がそれを判断するのだろうか。

よくわからないので、一旦「経験」それ自体について考えたい。


そもそも経験とはなにか。

生きていれば上記のような色々な経験をする。振り返って「いい経験だった」と思うこともあれば、「もうこんな経験したくない」なこともあれば、経験と呼べないような行動もある。

ここで1つのことに気がついた。
それは、「『行動』と『経験』は違う」ということ。いい経験と悪い経験と雑事。

いずれも行動の結果であるが、全てが経験なわけではない。つまり、全ての経験は行動からきているが、全ての行動が経験となるわけではない。

包含関係はこんな感じだ。

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洗濯も掃除も歯磨きも、全て行動であるけれど、経験ではない。(洗濯や掃除の重要度が低いとかではなくて、これは僕の中での優先順位と関心度、普段の取り組みからこのような具体例に)

さて、行動と経験の違いはなにか。

行動とは、何かをすること。
経験とは、何かしたことを意識・無意識的に検証し、次の打ち手を考えるところまでつながった行動。

意識さえすれば、何でも経験になりうる。「ここ数年雑な磨き方で虫歯になったから今後は丁寧に磨こう」と考えられたら、それは「雑な歯磨きをしていた経験」となる。また毎日「今日はここがよく磨けていたけど、ここはダメだった、明日はこうしよう」と考えられたらそれは「毎日の歯磨き経験」となる。

一方、無意識でも特定の行動を繰り返せばそれは経験になる。洗剤の量やすすぎの時間における小さな改善は意識せずとも日々やっているし、何度か失敗する中で「経験」となることも多い。

何を言いたいのかよくわからなくなってきたのでまとめに入ると、僕は今「色々経験した方がいいよ」との言葉を聞いた時、「たくさん行動して、それをできるだけ経験にして、学べることを学んだ方がいいよ」という解釈をします。以上。

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