UZ通信

カラダ・アタマ・ココロの遊び

中長期の目標① ー本を出版する

電車移動中にスマホでネタを書き、深夜のマクドナルドで肉付けをし、自宅か学校で体裁を整えてアップする。僕の場合、これらの作業に、つまりブログを一本書くのに約2時間かかる。

800~1600字に収まることが多いことを考えると、書く速度は遅い方だと思う。これは今に始まったことではない。小学校の頃は読書感想文に苦しんだし、中学校の頃も国語は5を取れなかった。高校時代は赤点を取っていたし、国立二次の論述は壊滅的だった。

中高に関しては、文法の活用や古典や漢文があったわけで、文章作成能力だけが結果に繋がったわけではない。しかし、これが大きな原因であったことを疑う余地はないだろう。

小1の夏休みに抱いた苦手意識が今なお続いていると考えると、「三つ子の魂百まで」という諺とともに子供時代の成功体験は大事だなあ、としみじみ思う。

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僕は今、文章を書くのが好きだ。あれだけ作文が嫌いだったのに好きになったのはなぜだろう。小学時代と考えていることはそこまで変わらないはずなのに(たぶん)、それを言葉にしたいのはなぜだろう。

そもそも論になるが、書くのが嫌いになったのはなぜか。今考えると、理由は2つある。

1つは「書く行為」が受動的なものであったということ。子供かよ、というツッコミを自分でしているが、「書け」と言われて書きたくなかったのだと思う。「勉強しろ」と言われてする気が起きないのと同じように、僕は「極めて人間っぽい人間」だったのだと思う。

もう1つは、テーマが悪かったこと。小学時代はやたらと「目標」や「夢」を書かされた記憶がある。崇高な目標や夢が評価され、卑近なことを書くとがっかりされる傾向にあった。しかし、僕にはそんな目標や夢なんてなかったし、無理やり作らされている感覚が気持ち悪かった。そして何より、身近に「夢」や「目標」を持って生きている大人がいなかった。

6年2組が1組(僕のクラス)のジャガイモを奪ったことを指摘した僕にガンギレした2組担任の「夢」は何か。「お前はいらない」と公前で宣言し僕に外周3周を課したサッカー部顧問の「目標」は何か。

小学生時代の僕にとっては「夢」や「目標」を持った大人は、「プロフェッショナル仕事の流儀」でしか見なかったし、つまり、身近な大人の中にそう見える人が皆無だったために、そういったテーマでは書きづらかったのが実際の所である。(別に夢や目標があることがいい、ないことが悪いなんてことはないはずだ。夢を語るよりも、目の前のことを淡々とやれることの方が大事だし、偉大な人も一歩一歩進んだだけだと思うから。)

なぜ子供に夢を持たせたがるのか、目標を持たせたがるのかは別の機会に議論するとして、僕はずっと、伝えたかったのだと思う。

幼馴染と一号公園で喧嘩したこと。静岡帰省時に、数ヶ月ぶりに父に遊んでもらえたこと。兄と習志野市内を自転車で冒険したこと。中2で初めての彼女ができたこと。七草マラソンで優勝したこと。市進R2の先生と友人が優秀なこと。兄さんと同じ高校に合格したこと。初めて骨折したこと。サッカーも勉強も自分よりできる人の中でどう生きるか悩んだこと。

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僕は今、面白い文章を早く書きたいと思っている。いつか本を出したい気持ちもある。書くことは未だに苦手だが、未来は明るい。原因がはっきりしているから。

練習量。

今僕がいい文章を書けないのは、練習が足りないから。文章を書いていないから文章を書くのが苦手なだけであって、文章を書いていけば文章を書けるようになる。

思い返すと得意だったことは全て、人より練習していた。リフティングも、数学も、マラソンも。だから当時と同じように、毎日続けるだけ。練習するだけ。そう考えると随分公平な気持ちになるし、精神衛生的にもいい。実際このレベルからなら、鍛錬でグングン伸びるはずだ。

今、半年前の文章を見返すとかなり恥ずかしいし、半年後はこの文章に対してそう思っているだろう。それでも愚直に書き続け、自分の想いを適切に伝えられるように、自分の考えをクリアに伝えられるようになりたい。

そしていつか(とか言ってるうちは一生出せない気もするけど)本を出したい。
それが今の目標の一つである。

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