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UZ通信

カラダ・アタマ・ココロの遊び

ブログを書く理由 ~続編〜 ー清々しく、楽しい気分になりたいから

マラソンや英語のトレーニングに波があるように、ブログの執筆にも波がある。本業で頑張れるのはせいぜい1つで、オプション的に頑張れるのも1、2個だろうと考える今日この頃。

今現在は、今月28日の引退を目前にした学生団体の活動に9割方のエネルギーを使っていて、それ以外に使えるエネルギーは1割程しかない。そのわずかな隙間産業に食い込んでくる自分のブログ産業は、かなりのものだと考えられる。

僕はなぜ、ブログを書くのか。
書く行為の目的、ゴールはなにか。

以前のエントリーで書いたように、ブログは書いていて楽しいし、誰かが読んでくれていることは嬉しいし、近況報告したい気持ちはもちろんある。しかし今回は、その楽しさを分解してみたい。楽しさはどこからくるのか。何が楽しいのか。

僕は多分、自分の気持ちや考えを「適切」に表現できた時に、楽しいと感じている。「適切」というのは難しい言葉で、少なくともそのまま書くのではない。黄色いバスを黄色いバスと書くのではない。黄色いバスを見た時の、僕の気持ちや天気、景色が思い起こされるように描写したいのだ。言ってる意味を僕自身理解仕切れてないのだけど、黄色いバスと書くのではない。

ブログ一本を通じて、満足いく作品を書けたことはない。しかし、一つの文章や段落においてそれを感じたことはある。この5行はまさに自分の想いだよな、この部分は僕の思考が過不足なく書けているよな、と思うことはある。見返して感慨深くなることはないけれど、書いた瞬間に、書いているその時に楽しさを感じたことはある。

ユーモア溢れる一文一文が、論理的な破綻なく積み重ねられた、美しい文章が書きたい。きっと清々しくて、楽しいだろうから。

僕にとって大事な母親が他人からしたら一人のおばさんにすぎないように、僕が見た景色やそこで抱いた気持ち、懸命に考えたことは、他人からしたらどうでもいい無価値な代物だろう。

だからこそ、僕の中では大切にしたいと思う。文章から想像できる景色よりは美しく、文章から伝わる気持ちよりは寂しく、文章が呼び起こす考えよりは瑞々しいはずだから。

今だって、いい表現が見当たらずに立ち往生し、論理がめちゃくちゃになってしまっている。これから3杯目のコーヒーを片手に第3ラウンドに入るんだけど、僕はコーヒーを飲みたくて戦っているわけじゃないし、戦いを好んで戦っているわけじゃない。自分の気持ちを適切に表現する楽しさを味わいたくて、戦っている。

ユーモア溢れる一文一文が、論理的な破綻なく積み重ねられた、美しい文章が書きたい。きっと清々しくて、楽しいだろうから。

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