読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

UZ通信

カラダ・アタマ・ココロの遊び

自意識過剰を克服する ー定期的に読みたい文章

雑感

僕は、自意識過剰だ。

人の目を気にし上手く立ち振る舞おうとする。上手く立ち振る舞う、というと聞こえがいいけれど、実際のところは失敗を恐れ、「何もしない」ことを選択して人生から逃げまくっている。フジの逃走中よりもよっぽど深刻で笑えない逃走中を、リアルタイムで放送し続けている。

僕の傾向としては、何かやりたいことが出てきても、失敗したくないという理由で避けまくる。ブログやfacebookへの投稿、制作したサービスの告知、好きな人への告白等の比較的小さな挑戦でさえ避けまくる。

これらの行動そのものに失敗もくそもないはずだが、とにかく人に見られることを気にするのだ。

 

じゃあお前は他人の投稿や挑戦を気にするか?と言われたら、全然気にしない。今日のタイムラインで誰の投稿を読み、何を感じたかなんて全く覚えていないし、今後気にすることもない。

だから、僕がyoutubeに「アンパンマンマーチを歌ってみた」を上げようと、facebookに「モテない男の特徴30選」を投稿しようと、vineで「素人のランニング講座」をアップしようと、誰も気にしないだろう。経験的にそうだし、実際誰も気にしない。

それに物事への挑戦それ自体は、すべて成功だ。挑戦中は夢中になれるし、やりがいがある。感情が伴い、心が動く。何かに挑戦しているときは、結果云々ではなく、瞬間瞬間が輝いているのだ。

 

このように、論理的に「やりたいことをやった方がいい」という正しさを理解しつつも、他人の目にさらされることを怖がる自分がいる。何かを言ってバカがバレることや、行動して無能さが露呈することを恐れる自分がいる。

自分はこういう人間であるはずで、こう見られているはずで、こんな行動を期待されているはずだ、と勝手に思い込んでいるからだ。誰もそんな風に見ていないし、気にしているほど、暇じゃない。

そうわかっていながらも、あれこれ無駄なことを考え、言い訳を作り上げ、「何もしない」ことを選択し、日々をやり過ごす。

 

自意識過剰が故に挑戦を避け、挑戦を避けることで人生から逃げているのだ。

 

 

自意識過剰になると、まずやれることが限りなく絞られる。「人目がない中で遂行できること」なんて今の時代、ほとんどない。タバコを吸うには店員さんに番号を伝える必要があるし、付き合うためには告白する必要がある。多くの人に考えを伝えるにはsnsで告知する必要があるし、友達と深く話すには会う必要がある。誰かの目を気にすると、ほとんど何もできなくなる。

 

そしてそれに応じて、得られる経験が少なくなる。前の段階で、絞られるのだから当然だ。次々にトライする人と挑戦数が少ない自分との間で、経験値の差がつく。それは成長スピードの差に他ならず、成長スピードの差は将来の自己実現の差となる。

 

 

将来云々と書いたが、僕は今を全力で生きたいと思っていて、その障壁になるもの(=自意識過剰)を取っ払いたいのだ。

 

今までの経験を振り返ってみると、他人の目なんか気にすることなく、なりふり構わず夢中になれた時間は生きている実感がしたし、今思い返しても、素敵な時間だったと言える。そういった時間を、少しでも増やしたいと思う。


宇宙の歴史全体を1年に見立てると、人類の誕生は12月31日の21時頃であり、僕の一生はたった0.1秒らしい。

2015年の凄まじいスピードを考えると1年でさえそっこー終わるのに、1ヶ月あってもライザップでも痩せれないのに、1週間あってもダカールラリーは終わらないのに、1時間あってもスプラッシュさえ乗れないのに、1分あってもカップラーメンも食べられないのに、1秒なんて首を横に振るくらいしかできないのに、0.1秒なんてもう、瞬きも危うい。

 

スーパームーンのクレーターからしたら、僕のfacebook投稿なんて、本当にどうでもいいだろうし、もうこんなエクスキューズしていないで、さっさと行動した方がいいと思いました。


以下はこれから定期的に読み返す文章です。

 


恥ずかしさが自分の行動を抑制してしまうことがある。たとえば、いまの私は海外にいる。言葉が通じないことを恐れて積極的に他人にコミュニケートできない(取材にまともに答えられない)時などがある。そういう時、私は何を恐れているのだろうか。何を恥ずかしがっているのだろうか。それは、安易な言葉で言えば「失敗」であり、何かがうまくいかないことを恐れてしまって、自分の行動に二の足を踏んでしまう瞬間がある。
 
しかし、うまくいこうが、うまくいかなかろうが、自分は自分以上でも自分以下でもないのだから、自分自身をダイレクトにぶつけて行くしかない。重要なのは「うまくやること」なんかではなく、失敗しても、恥をかいたとしても、自分はやれることはやったのだという清々しさを感じることができる限り、それは素晴らしい人生のプレミアムシーンになる。
 
自分に恥ずかしくない生き方をするということは、恥の多い生き方をするということと、多分、同じだ。うまくやろうとするのではなく「ダメでもいいのだ」という許可を自分におろせた時、その人は無敵になる。この「ダメでもいいのだ」という人生の素晴らしい逆説は、人間を無敵にする。そして、本来であれば誰もが無敵な存在だったということを、優しい感覚と共に思い出させてくれる。

 

ibaya.hatenablog.com

 

blogos.com

 

宇宙の歴史から見れば、人類が誕生して、まだ4時間ほど。 | 沈んだ気分が明るくなる30の方法 | HappyLifeStyle

 

 

 

 

傷つく前に、傷つくな。

広告を非表示にする