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UZ通信

カラダ・アタマ・ココロの遊び

低いハードルをたくさん飛ぶこと

雑感

何か新しいことを始めるときそれを楽しめるレベルになるには、またはそれを以前からやっている周りのメンバーに追いつくには一定のトレーニングが必要だ。このことは過去の自分に追いつくことについても同じように言えて、高校まで12年間サッカーをやってきた僕も今リフティングを100回やろうとすると感覚を取り戻すのに少し時間がかかる。

今の僕にとっては「ブログ」がそんなところで、文字を書き連ねているものの起承転結なんてとても考えられていないし、そもそもTwitterInstagramをブログにどうやって挿入するんだっけ?という状態だ。

でもこういったものは一時的なもので最初は苦しかったり面倒でも、時間とともに慣れるし特に一度経験済みのものはすぐに思い出すことができる。

(ほら、やっぱりできた!)

ただ新規にせよ再開にせよ「決意して始めたこと」が面白くなるまでに挫折してしまうケースも多い。英語の勉強、トレーニング、カメラの趣味、サイト運営、、実際に諦めたケースは数知れない。

1日1時間学ぶ、週3回ジムで1時間走る、1日10枚写真を撮る。
これらは全て挫折したわけだが挫折した理由は大きく3つある。

①物理的に取り組めないことがあるから
ー1時間というまとまった時間を確保するのはちょいと難しい。拘束されたイベントや不意の依頼なんかで時間を取れないことは大いにあります。

②精神的に取りかかるハードルが高いから
ーで、ここが最大の問題なのだけど、仮に1時間取れたとしても「ああ1時間もやんのかだるいな、明日でいっか」となってしまいがちになる。

③上記2点のコラボにより習慣にならないから
ーという上記2点によりやったりやらなかったりで習慣にならない。


しかし、上記3点に対する解決策はあって、それはシンプルに
「ハードルを下げること」
に尽きると思う。

もし、1日30秒の勉強、週1回ジムで1㎞走る、1週間で1枚の写真撮影を目標にしていれば、続く可能性はかなり高まっただろう。

僕自身現在はジムにいったときの最低ノルマ(ハードルの高さ)を設定しておらず、体調に合わせて走る量を調節している。気分次第では10分も走らないし、気分がよければ30分以上走る。これにより毎回のトレーニングを無理なく続けることができている。(低いハードルを数飛ぶ方が、高いハードルを数回飛ぶよりも、飛んだ高さの合計は高くなる!)

上記を踏まえて、このブログについてもノルマは設定せずに再開した。締切、文字数、クオリティと現時点でこだわりはないので、一旦は好きなように文字を綴りたい。
習慣になるか、ならないか、乞うご期待。

ブログ再開

今年の6月に就職先が決まり、残す学生生活もわずかになった今日この頃、ふと思い立ってまたブログを書くことに決めました。
今後どのような形でブログを継続するかは決めていませんが、自分の考えの整理に使えたら十分だし、僕の言動が万が一誰かの生きやすさや勇気に繋がったら最高です。
取り急ぎの報告というか決意というか、シンプルな再開です。

コミュニケーション

雑感

伝え方が、大事。

自分自身がやりたいことがあっても、やれないのはコミュニケーション能力がないことが原因であることが多い。

やりたいことがあって、それに誰かの協力が必要な時は、周りに動いてもらう必要がある。

その時に、相手に納得感を持って動いてもらうには、自分の話していることに腹落ちしてもらう必要があるし、腹落ちしてもらうには、論理的で感情を動かす話をする必要がある。

その話が感情を動かすかどうかは、相手の視点にたって、相手に伝わる言葉で話そうとしてるかという観点も含んだ熱意を有しているか、がポイントだと思う。

今アルバイト先でなかなか課題を解決できないのは、自分のコミュニケーション能力に原因があるので、辞めるまでの残り2ヶ月、そこを意識しながらがむしゃらに取り組んでいきたい。

まあ本気でがむしゃらに取り組んでいると、大抵誰かが手助けしてくれて、伝え方うんぬんはすぐに脱却するけどね。

なんで就活してんのか

就活

就職活動をする理由は人によって違うだろうけれど、小学校を卒業して中学にいったみたいに、中学を卒業して高校にいったみたいに、高校を卒業して大学や専門学校にいったみたいに、大学を卒業をしたら就職する人がマジョリティだから、就職する人が多いんだろう。

かくいうぼくもそのビッグウェーブの乗り、就職活動の最前線を走るわけだけども、一旦立ち止まって、なんで就職活動をしているのか考えてみた。

そもそも、何のために生きているか、という話をすれば、ぼくは幸せになるために生きている。その前提のもと、自分の幸せには達成感だったり、安心感だったり、満足感だったり、といった幸せに寄与するポイントを高く積み上げたいと思っている。

ただ、そのポイントを最大化させるには、ちょっと厄介なこともある。今の小さな我慢が後に大きな幸せポイントになることもあれば、今の小さな我慢が後の大きな後悔ポイントになることもあるからだ。

いずれにしろ、未来はわからない。いつ死ぬかはわからない。とはいえ、明日を迎えたら明日を生きなきゃいけないわけで、100年後も生きていれば2116年を生きなければいけないわけだ。

どの時間も満足に生きるには、どうしたらいいか。
次の2つに多くのリソースを割くことが大切だと思う。

1つは、今やりたいことをやること。
2つは、やりたいことのためにやるべきことをやること。

1つめの「今やりたいこと」とは、ブログを書くことだったり、サッカーをすることだったり、映画を見ることだったり、とその時の快楽を優先してやることである。

2つめの「やりたいことのために、やるべきことをやること」とは、将来のなりたい姿や将来成し遂げたいことのために「やるべきこと」を淡々とやることを言っている。試験を突破するために中国語を勉強したり、フィジカルを強化するために体幹トレーニングをしたり。

一般的に後者は敬遠されがちだし、ぼくも避けがちなんだけど、後者を頑張ったときの方が満足度が高いのが現実である。

なんで、こうなるのか。
今の快楽を優先して、寝たいだけ寝たり、食べたいだけ食べたり、遊んだり。
それらに対してあまり満足を感じないのはなぜだろう。

おそらく理由は2つある。
1つは、これまでの自分の価値観と反しているから。
もう1つは、自分は未来に生きているから。

1つめのこれまでの価値観とは、これまでの人生における経験によって出来上がった考え方のことだ。小さいころから、遊びたいのを我慢して勉強したら褒められたり、自分がもらいたいところを我慢して譲ったら喜ばれた経験によって、「我慢=いいもの」と捉えている自分がいる。だから、何かを我慢したらいいことをした、と条件反射的に考える自分がいるのだと思う。

2つめの自分は未来に生きている、というのは、毎日希望があるから生きているよね、という話。運動会、大会、テスト、デート、受験、就活。そこに対して希望だったり、成し遂げたい目標があるから、多かれ少なかれ頑張れる。だから、その未来が少しでもいいものになるよう、理想の自分になれるよう、誰かを幸せにできるよう、未来に繋がる行動を高く評価するんだろう。

結局言いたいこととしては、「やりたいことのためにやるべきことをやる」ことになるべく多くのリソースを割くことが大事で、そこでの集中力を最大化させる意味でも、「やりたいことは積極的かつ妥協なくやる」ことが大事だよな、という話です。

就活の話に戻ると、ぼくは将来、ビジネスマンとして世界で活躍したいと思っている。
親孝行したいし、家族を楽にしたいし、子供にはレゴをプレゼントしたいし、人や社会のお役に立ちたいから。

卒業後の進路としては、バックパッカーとして放浪したり、起業家になったり、留学するという選択肢もあるけれど、というか選択肢は無限にあるけれど、今の自分は就活に取り組むのが目標に近づいていると実感できる、つまり満足度を最大化させる行動だからやっています。

最後は人

雑感

最後は人。
物の受け渡しも、情報の伝達も、些細な約束も、重要な契約も、就活も。

相手は信用できるか、物事をやり遂げそうか、自分に危害を与えないか、また会いたいか。

先日不動産の契約をした際、担当者の方が非常に感じがよくて、また次も機会があったらお願いしたいと思うような方だった。不動産業界は特に、代理店ごとの差別化が難しく、サービスの質に問題があるとすぐに淘汰されるんだろう。

ぼくは今就活やアルバイトを通じて社会人と話す機会が多くある。そういった場面で、相手に不快な思いをさせていないか、話を聞いているように見えるか(ほんとうに聞いているんだけど、そう見えないと意味なし)、信用できる人間に見えるのか。

自分のコミュニケーションを見直そう、と。
具体的には、きちんとリアクションをすること。
わかったことがわかるように頷いたり、目線を合わせることを心がけたい。

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情熱は足りてるか。 ー第一志望群のベンチャーに落ちたよ

就活

本田選手の言葉です。ACミランの10番、日本代表のエースとして活躍する選手の言葉はやはり響きます。

何かがうまくいかないとき、もうだめかなと思ったとき、落ち込んだとき、自暴自棄になりそうなとき、どっちでもいいかと投げやりになりそうなとき。

そんなときにこの言葉を思い出すと、自分の行動を前向きに変えることができます。

就活、授業、バイト(とマラソン)
これらに対して、最近は毎日考えています。

2日前に、第一志望群に入っていたベンチャー企業に落選しました。
残念ですが、仕方ありませんね。

自分自身の言葉、行動を見直し、変えていくしかありません。

情報共有をしあったり、一緒にご飯を食べたり、泊まりに来てくれる友達や、支えてくれる家族がいることに感謝し、前を向いてやっていきます。

情熱は足りてるか。

微分して考える

雑感

昨日、

asobot8.hatenablog.com

このような記事をかいたのですが、とはいえ1年単位で考えると、ちょっと憂鬱になることもあります。先が遠すぎて。だから、ぼくは微分して考えることにしました。

冷静に考えてみます。
卒業という大きな目標は、1年間で成し遂げるのではありません。
前期で落としたら、死です。勝率は圧倒的に下がってしまします。

じゃあ勝率はどうしたら高まるか。勝負は前期です。
前期で全単位を揃えれば、ほぼ卒業が確定的になるからです。

じゃあ前期の全単位を揃えるには、どうしたらいいか。
それには、最初の1ヶ月で全部の授業にでることが必要です。
ただ、これでもまだちょっと遠いし大きい目標だなあ、という感じですが、そんなときも焦らず砕きます。

1ヶ月全部の授業にでるには、1週間全部の授業に出られれば、まず大丈夫でしょう。

これならできそう、、、、、、という風にチャンクダウンしていくと。結局は11日きちんと授業にでることがキモになります。

そのためには、毎日規則正く起きることが必要で、きちんと起きるには、寝ることが必要です。7時に起きるには、11時までに寝られればよくて、そのためには1030分にはお風呂に入り、歯を磨けばよいのです。

今は1730分すぎなので、だいたいあと、5時間ですね。

全然難しくないですよね。
淡々とやっていきます。

追い込まれて、チャンスだと思う ー週5学校、週3バイト、就活

雑感

ぼくは卒業までに、40単位以上取らなければなりません。

日吉の単位も幾つかあるので、キャパは60単位ほどなのですが、授業の時間帯や科目の分類から制限はあるので、厳しい戦いは続きます。

他の人が旅行にいったり、アルバイトやインターンをしたり、自分の好きな勉強をする中、ぼくは授業から学ぶことになります。

23年の2年間は、
学生団体の活動、チャリ旅、中央アジア渡航、ビジコン参加、ネット販売、写真営業、イベント主催、シェアハウスに居住、プログラミング、インターン、LITALICO
と学外の活動を中心にしていたので、というかそれを言い訳に学業をおろそかにしてきたので、4年でこのような事態になることは目に見えていました。

自業自得ですね。
ただ、この状況は果たして残念なことなのかといえば、否ですね。
割とラッキーだなあ、と思ってます。

理由は3つあります。
1つは、勉強せざるを得ない状況ができたこと。
2つは、タイムマネジメントが身につくこと。
3つは、ストレス耐性がつくこと。

まず1つ目の、勉強せざるを得ない状況ができた、とは言葉の通りです。この1ヶ月は1年生以上に真面目に出席しました。レポートも出したし、出席しているし、予習しているし、復習だってしています。

学生以上に時間のあるタイミングは社会人になってからはないと思うので、勉強効果の最も高いこの年齢で勉強に取り組めるのは、願ってもないチャンスです。

この2年間で様々な活動をしてきたこともあって吸収力も違うし、社会人になってから遠くに飛ぶための知識を身につけます。

2つ目の、タイムマネジメントとは、時間管理と時間あたりの生産量を指しています。何か課題にぶち当たったとき、ぼくは時間の投入で壁を越えてきてばかりでした。

しかし、その考え方では限界がきます。時間は有限なので。命を削っているのは皆同じなので、その時間あたりのパフォーマンスを上げざるを得ない環境は望むところです。

就活中の今も、LITALICOは続けているし、それはこれからも同じです。自分の時間あたりの生産量を最大化させた上で、社会人に飛び出します。

3つめのストレス耐性が身につくとは、壁を前にしたときに動じなくなるための練習です。ぶっちゃけ、卒業できないのは親に顔向けできないし、企業様に申し訳ないし、これまでとこれからの自分に顔向けできません。

社会人になって、世界で活躍するビジネスマンになることを考えると、こんなの壁でさえありません。

軽く突破し、追い込まれても動じない人間になっていきます。

ということで、ぼくは今までと変わらず、というかもっとたくさん目標をぶち上げて、達成し続ける1年にする所存です。

「心の中の色紙」を聴き、16歳の頃を思い出した話。

雑感

ALのアルバム「心の中の色紙」の音源を聴いた。
メロディは心に響き、歌詞は胸に刺さり、高校時代を思い出させた。

***

6年前、ぼくは16歳だった。

勉強は320人中300位、部活ではAチームとBチームをいったりきたり、彼女なし。泥沼な高校生活を送っていた。自分勝手でコミュ力は低く、プライドだけが高かったぼくに、友人と呼べる人はほとんどいなかった。

しかし、世の中優しい人はいるものだ。

そんなぼくのことを面白がってくれる人がいた。

容姿端麗で、周りを楽しませるのがうまく、愛嬌のある人が、ぼくと仲良くしてくれていた。

テニス部に所属する彼と、2年生の1年間はいつも一緒にいたように思う。

***

当時の彼はニックネームを探していたぼくに「UZ」と命名し、「andymori」を布教した。

今のUZ通信はそこから来てるし、メールアドレスには彼の名が入っている。そして、ぼくが今なおAL(andymoriのボーカルが所属)をきいている理由は、単に小山田君の歌声が好きなだけでなく、そのときの思い出があるからだ。

***

半ば無理やりに勧められた曲を聴きこむうちに、andymoriのメロディと歌詞にどっぷりハマり、以来ぼくの青春は小山田君(ボーカル)の歌声とともにあった。

サッカーの大会前に聞いた「革命」
引退後に歌った「every thing is my guiter
彼女と並んで聴いた「光」
1人で聞いた「3万日のブルース」
タイで聞いた「sawasdeeclap your hands」
マラソン中にきいた「スパイラル」
総会で歌った「ベンガルトラ」

今、スーツ姿で聴く「北極大陸」

www.youtube.com

音楽をほとんど嗜まないぼくが、唯一聴き続けている歌声を、これからもたくさん耳にするんだろう。

 

***

 

ALの新アルバム「心の中の色紙」がめちゃくちゃよくて、思い出に浸った話です。

www.al-revivalrecords.com

ニーチェの2作品を読んで

書評

ニーチェの2作品(「ツッラトゥストラはかく語りき」と「人間的な、あまりに人間的な」)をまんがで読んだ。

両方とも、人間の欲望、矛盾、不平不満が集約された作品で、暗い気分になった。ニーチェが何を訴えたくて、この作品を書いたのかは不明だが、ぼくはかなり恣意的に1つのメッセージを受け取った。

責任を持って自分の人生を生きること。

物語には「周囲の期待に応えようとして牧師になろうとする青年」や「盗みや殺人を犯す牧師」が登場する。

彼らは周りの目を気にして自らを抑え、その結果、自分を追い込んでしまう。

レベルの差はあれど、ぼくもかつてそれを感じていたこともあったので、共感できる部分も多かった。

ここから学んだこととしては、やはり自分の幸せに、自分の意思決定に、自分自身に責任を持って生きるべき、ということ。

誰かの決定に賛同するなら、それは自分自身がそう決めたことを認識すべきだし、誰かのために頑張るのであれば、それは「誰かの幸せが自分の幸せに通じていること」、つまり「自分自身のために頑張っていること」を認識すべきだということ。

結局自分のことを幸せにできる人は自分しかいないので、自分の幸せに関して責任を持っていかないとな、と。

ニーチェの作品には興味を持ったので、文庫版にもいずれ挑戦したい。

 

ツァラトゥストラかく語りき ─まんがで読破─

ツァラトゥストラかく語りき ─まんがで読破─

  • 作者: ニーチェ,バラエティ・アートワークス
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2013/06/28
  • メディア: Kindle版
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人間的な、あまりに人間的な ─まんがで読破─

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  • 作者: ニーチェ,バラエティ・アートワークス
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